今月は【女帝】
今日は【ペンタクルス5】
【ペンタクルス5】
いくつかの矛盾をはらんだ意味がありますが、今日は通常通りに、貧困、孤独、病などと読んでみようか。
だが、単純に〈意味〉に囚われないでください。ペンタクルスが頭上に描かれている点から【ペンタクルス3】を思い出してほしい。
また、二人という点から【カップ2】をも連想できるし、右を向いて進んでいる点から【カップナイト】と結びつけてもかまわない。
貧困、孤独、病は人間の性なのだろう。誰でもいつかは味わう可能性がある。誰でも。
現にこの瞬間にも苦しんでいる人がいる。その人達のために何かができるはず。
いま苦しんでいる人は、抜け出すために何かをしよう。
貧困、孤独、病から抜け出すための行動は種子となって、大地【女帝】に蒔かれる。なにかの花が咲く。
絶対に花が咲き、実を結ぶ。
貧困、孤独、病いについては語れるなぁ。語っちゃうよ!!
小一時間は語れる。
最近流行りの、相対的貧困ではなく、絶対的貧困。しかも自分から選んだし、選ぶしかなかった。
相対的孤独ではなく、絶対的孤独。相対的病いではなく、絶対的病い。
ちょっと前的に言えば、自己責任。ちょっとスピ風に言えば、宿命。自己啓発的に言えば、己の道を進む。違うか(笑)
昔はクズだったんだと言ったら、ワルだったの?と聞かれたことがある。少し前に、ちょいワルオヤジって言葉が流行ったときに妻が「ちょいワルくらいだったら良かったのにねぇ」と笑った。
ワルじゃなくてクズ。そう、暴力団とか暴走族とか愚連隊(死語?)なんかとは一切関わりがなかった、いや違う。。。関わりは仕方なく少しはあったが、誘われたことすらなかったなぁ。
「このクズは事務所当番、鉄砲玉にも使えやしねぇ」と嘲笑れていたんだろうなぁ。はぁ。。。
なんだろうなぁ。相対的貧困、相対的孤独、相対的病い。相対的というのは社会や政治の世界では意味があるんだろう。だが俺んなかじゃ相対的ってのは無意味化してしまった。歳をとったんだなと思う。
比較対象がない。高慢傲慢でもなんでもなく、弧・俺。
喩えが乱暴だけど赤ちゃんってミルクを飲んで笑って眠る。おんなじ。でも63歳になるとみんな違う、孤。
そして、孤独の痛みは青春時代より、63歳の今のほうが強いかもしれない。
先日、ユーチューブで山崎ハコを聴いていたら、妻が「あんたは青春時代の曲が好きねぇ」と。「あれが青春時代かなぁ。。。」と俺。「ま、青春でしょ(笑)」と妻。
今でも、貸しレコード店ってあるのかな。
今月のインタビュー、運勢を掲載しています。
横浜関内・東京秋葉原の占い師中川オフィシャルサイト
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