2017年4月5日水曜日

2017年@千鳥ヶ淵






9.8分咲きという感じの桜でした。
たぶん今週末は見ごろでしょう。

思うところがあって戦没者墓苑と靖国神社は黙礼だけ。

今でも何にも知らないことが多いが、昔はもっと知らなかった。戦争を知らない。


その後、ムンバイでカレーを食べた。これも恒例。


初めて千鳥ヶ淵の桜を観たのは20年以上前になるか、桐ケ谷の帰り。
俺たちは戦うべきじゃなかった。
鎖を切るべきだった。



ムンバイ。
いまwikiったら1995年にボンベイからムンバイに地名変更になったんだな。極右が主導したようだ。ここにも政治。ここにも政治。ここにも政治。

ムンバイのディナーセット。
カレー二品【チキンと日替わり】
カバブとタンドリーチキン
ターメリックライスとナン
サラダ
マンゴーラッシー
追加でサモサを頼んだ。

インドを列車で移動中はサモサをよく食べた。列車が駅に止まるとサモサ売りがウヮーッとよってくるんだ、香辛料と油と汗と埃の匂い。

無意識にナンを右手だけでちぎって食べてたんだな、妻がよく右手だけで出来るわねと。

インド人は右手で食べるという思い込みがあるかと思うんだが、実際には右手の指先を使う。寿司を食べるときに手を使うというより指でつまむじゃん、あんな感じ。

インドで何回か高級な料理屋に行ったが、ハイソな人たちの食べ方は綺麗だよ!!指先をほんの少しだけ使う、手でぐちゃぐちゃにする人なんかいない。



ボンベイ。
狂うかと思うくらい暑かった。商業都市で俺みたいな風来坊は少なかった。安宿に数日泊まっていたが、YMCAが情報交換の場になっていたんで一泊だけした。

あの頃も口コミが頼り。
今と違うのは、口コミの内容より、その口コミをどんな人が伝えてくるかが重要だった。
どんなオイシイ話でも伝えるやつが??という感じなら信用できない話。


安宿はどの国でも同じなのか?ボンベイもそうだった。
スラムの近く、そして売春街も近い。インドは英語が公用語だがスラム街の売春婦には英語は通じないね。ドロドロの道を歩いていくと窓に鉄格子、扉は外から鍵をかけた売春宿がつらなっている。部屋の外から野良犬がギャンギヤン鳴いている声が聞こえた。

一人でぶらぶらと出かけていたから、殺されても分からなかっただろう。




サクリファイスという映画を観たことがありますか。
ここにも〈マリア〉が登場します。

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